マダム路子のブログ

エンターテイメントでたどる魅力学

昭和・平成・令和を生きる

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事実婚19年目に正式に片岡が私側に入籍。私が67歳・片岡63歳でした。片岡五郎は55歳からスヴェンソンウイッグを使用していました。あるセミナーでスヴェンソン広報の女性と片岡と私にご縁が生まれました。当時、女性用のスヴェンソンファッションウイッグ販売を強化する方針を持たれていた当時の社長からの要請を受け、私はスヴェンソンウイッグのエグゼグティブアドヴァイザー就任。正式入籍をしたことでスヴェンソン発行の冊子による4ペの特集記事トップ画像。それから、18年の時が流れました。青春スターから、悪役俳優に転じた役でも常にファッションはダンディーに決められています。日常生活でも、老いを重ねても、病気に罹患しても、彼のオシャレ心に寄り添い、私自身のファッション以上に心くばりをしています。デイケアーセンターではおしゃれな五郎さん」と、皆さんのアイドルですよ!とは看護師さんの言葉。そんな一言に励まされてきた私です!彼に伝えますと「でもバアさんばかりだからなあ」と不遜なことを言うので「だって、キミもジイサンじゃない!」と応えると「そうだな、忘れてた」と二人で大笑い


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私と俳優・片岡五郎が結婚したのは、私が67歳・片岡63歳でした。付き合い始めたのは私が48歳・片岡44歳。事実婚19年目に正式に片岡が私側に入籍。今、私85歳・片岡81歳。私の方が4歳年長ですが、健康面は私の方が元気。現在、片岡の健康状況は極めて厳しい状況にあります。いわゆる老々介護状態ではあります。しかし、家族の協力、公的支援の活用で私の健康を維持しつつ、当人も渋面にならず、穏やかでお茶目な表情で過ごしてくれているので、陰気になることもなく見守っています。だとしても、私の心身が健康でないと家族に二重の負担をかけてしまうのを防がなくてはなりません。平常心を保ち転倒したり、風邪をひいたりしないよう心がけ、おしゃれも忘れず、ユーチューブの収録で「魅力学」につき語っています。48歳の私と44歳片岡のフォトです。この時から19年事実婚を継続していくことになりました。

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私が4人目の次男・品川 祐を出産したのは32歳。まだ、妊娠中に男女の性別など確認できない時代でしたが、私は「絶対に男子」だと決めていました。意図したわけではありませんが、長女・晴美・長男・一治・次女・実花の順であれば次に男子、男女ふたりづつで彼らにとってもバランスが良いのではと勝っ手に解釈したわけです。幼い頃の祐は特に次女実花を慕い「弟がいつもついてくるっていわれちゃうのよ」と言っていました。祐がお笑い芸人となり私小説「ドロップ」出版の際は公式に、実花に編集依頼がなされ、長期的に印税収入が取得できるよう配慮。実花の罹患を告げると駆けつけた祐は、医師から疾患のDVDを受け取り、知人を介しアメリカで活躍する日本医師で脳外科の権威に送付。一週間後「処置なし・宣告通り」と返信。慟哭する息子の姿を見て、こんなにまで思ってくれる弟を持った実花は「幸せ」だと、共に泣きながらありがとうと我が子に頭をさげました。大阪にいた長女、海外にいた長男の全員がそろった時、4人の男女の子供を授けてくれた運命に深く感謝しました。私は、子供たち4人の一番の応援者ですが、同時に4人の子供たちも私の強力な応援者なのです。人生の共演者とも言えるでしょうか。

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次女・品川実花は私が28歳の時。長男・品川一治とは1年3カ月しか違わないのに、この差は大きく、実花はお兄ちゃんが大好き!中学生頃はブラコンと呼ばれる程の慕いようで敬愛してました。兄の一治もそれなりに応えていました。私たちファミリーは全員がエンタ好き!中でも品川実花のエンタ好きは群を抜いており、ライターを目指しつつ、脚本を学びついに作品を舞台化。父親の俳優片岡五郎も出演。いくつものアルバイトや職業を経て、ライターとしての仕事に集中できるようになった40代で悪性の脳腫瘍に罹患。余命4カ月の宣告から1年余。家族や親族、友人、知人の多くが見守る中、天国に召されました。死にも幸・不幸の分別の有無があるかどうかわかりません?しかし、幸いに悪性脳腫瘍のせいか、痛みを(脳が感知せず)はじめとする苦痛が少なく重篤な状況も意識せず、悲痛な思いを隠した人々の溢れるような愛情に包まれ、キレイな顔で逝った娘は「幸せ」だったと思っています。そのように信じたいです。娘が中学生の頃。雑誌の取材で。


悪性脳腫瘍に罹患し、延命

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長男#品川一治を産んだのは27歳の時。テレビ東京で初のMCを担当始めたときに妊娠。ツークル24回をテレビ関係者には気づかれないよう洋服を工夫しました。成長と共に一治は映画製作に夢を持ち、縁故を頼りロスアンゼルスで修業を開始しましたが、この道は険しかったようです。どんな経緯をたどったのか、定かではありませんが、息子はロスアンゼルスで【CM】制作会社設立。17年を経て帰国。日本で(株)トボガンを設立しCEOとして活動。私は、男兄弟だけで育ち、嫁いだ先も6男の男子ばかり。彼等と共に成長し、2人目の子供ということもあり、余裕をもち成長を見守ることができたと思います。長男の定義も決め難いですが、母親の私にとって、品川一治は「長男らしい男子」と誇れます。帰国したとき、浅草にある墓参りと左のフォトは歌舞伎の観劇にいった時のもの。


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